北京市内
手塩にかけて再建西太后が愛した離宮
金代の12世紀中頃、皇帝の離宮として造営されたのが始まり。乾隆15年(1750年)乾隆帝が大改修を 施したが、1860年の第2次アヘン戦争の時、英仏連合軍に焼き払われてしまった。1888年西太后は海軍の 軍費3000万両を注ぎ込んで再建、現在の姿となった。園内には贅を尽くした絢爛豪華な建物が数多く造られ 池や小山なども配されている。西太后はこの離宮をこよなく愛し、とくに晩年には、執務と自由時間を楽しむ ため長期間をここで過ごしたことで知られている。 |
園内最高の高さは60mの万寿山には仏香閣そびえる。 |
建物前には銅製の壷、鹿、コウノトリ、などが置かれており 世界平和を象徴している。特に鹿には富と長寿のシンボル |