皇帝が天帝に捧げる重要な儀式の場
古来より中国は天帝を祭る土蔵の露台、壇という構造物があった。 北京では故宮を中心とする東西南北に天・地・月・日を祭る壇が 築かれていた。南側に築かれたのが、現在も残っている天壇である。 明代の永楽18年(1420年)に創建され、清代の乾隆16年(1751年) に拡張。その後、焼失再建を経ているが、乾隆帝時代の様式が今に 伝わっている歴史的な遺構である。明・清代にわたり、皇帝は年2度 天壇に行幸した。ここで皇帝は正月には五穀豊穣を、冬至には1年の 出来事を皇帝に報告する儀式を行ったのである。
長廊の端に人がなんとか腰掛けられるスペースがあり何人かのクループで トランプ・将棋・楽器の演奏・内職風な編みのも・あると、あらゆる事をして 日本では想像のつかない光景です。
天壇は古来中国の宇宙観が詰まった場所。まず皇穹字や祈新殿の 屋根の丸い形は天を象徴する。そしてかれらの建物が乗っている3 層の基壇の3という数字に注目を。中国伝来の陰陽説では奇数は 陽数、偶数は陰数という。陽数の3はこれも天を象徴する。 圜丘の 敷石は中央の石すぐ周りが9個、その次は18個と9の倍数。9は1桁 の陽数の極まった数字で天を象徴している。
中国北京の旅 北京の下町